
この青銅器はクロムメッキらしく時代を経過したとは思えない程綺麗な状態である。そのためもあって、中国の博物館に資料をおくっても、また東京におくっても偽物とされて相手にされない。
さて、何千年も前にクロムメッキの技術が存在したことは、冶金工学からして驚きである。そのことは別にして、この青銅器の胴に夏国建設の過程と当時の政治情勢についての記述が彫られている.詳しくは後文に写真を付けた解読分を紹介する。
金文の概略は、卯(治水に尽力したウ王)が人々と穀物を栽培し、草地を拓いて社を建て、領内に運河をめぐらし、道路を建設して夏国を建てた。
起文者の尹辛天は光俑(皐陶)を補佐して卯が帝位を爵する前から、荒れ地を開墾し諸郷を治めた。光俑が亡くなるまでに、沙王卯の子、呉丂を立てるため、敵対する勢力を制圧した。(沙王の沙は今も敦煌の別称が沙であるように、甘粛省あたりとみられる)
金文の詳細

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22 21 20 19 18

2 1 22 21 20
解読試し文
1 卯は国々を巡り歩き、
2 行先の山が険しければ馬で駆けた。
3 人々を集めて穀物を栽培した。険しい山、
4 満草を開いて建てた宮殿。
5 運河を廻らし、道路を建設し、
6 永遠の夏を建国した。
以上は金文の最も興味を惹かれる、建国の大事業について述べている。文体は中国語と違い、主語+目的語+述語の語順。
7 臣 尹辛天は
8 あえて山を開き、穀物を栽培した、止まず
9 光俑(皐陶)を補佐して仕事をし、
10 諸家を調査して税を課した。
11 沙の出身の卯が国王となった。
12 道を開き、南の未開地
13 から北の国まで治め、侵攻を防いだ。
14 種を植え、粟が大いに実った。
15 諸家は十分に暮らした。
16 (キリン神)の恵みを祝い、喜んだ。
17 臣 対前は
18 まず,呉が羽ばたけるように、
19 反徒を捉え制圧した。
20 光俑(皐陶)今に亡く、悲しいばかりだ。
21 沙王の至が没し、ここに
22 子の呉丂が王位を継承した。
以上、もし、この青銅器を研究したい方は下記にハガキ(post card)で申し込んで下さい。
〒663-8152
西宮市甲子園町11-4-104
戸井 敏敦
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